からくり剣豪伝ムサシロード / Come is me It say no comeさん
 
 からくり剣豪伝ムサシロード


 ※この話に登場する人物はすべて赤い人と青い人です。実在の人物とは関係ありません。




 鎖鎌とは、甚だ厄介きわまる。中でも宍戸なにがしと言うは最強である。
 宮本武蔵はその言葉を聞いていてもたってもいられなかった。

 これは尋常な仕合ではない。野仕合である。
 お互いの凶相を目の当たりにした両者は、言われるまでもなくその事を理解した。
 鎖鎌という武器相手に尋常の太刀使いができようか。
 二刀をもって太刀合う相手に正々堂々と言う理屈が通じようか。
 どんな手段も卑怯とのそしりを受けない。まさに野仕合とは、無頼の為の仕合だった。
 彼我ともに装甲を済ませているあたりからも、これが尋常の勝負といえない事をうかがえる。これはすでに仕合にあらず。
 勝負にあらず。
 戦場だった。

「……鎖鎌、とは、難儀や」
 攻めあぐねている。武蔵は認めるしかなかった。
 鎖鎌の恐れるべきは、武器を奪われるところにある。そう踏んでかねてより思案していた二刀流を持って望んだのだが、どうも心得違いをしていたらしい。
 鎖鎌の真に恐れるべきところは、間合いだった。
 長柄の槍が届く範囲を、轟音を立てて分銅が飛んでいる。堅牢である劒冑の甲鉄だが、その実衝撃はあまり逃がさない。甲鉄を曲げるほどの打撃ならば、中の骨ごと砕くだろう。
 武者の戦場で組討術が使われるのと同じ道理だ。関節技や打撃は、武者にとってあるいは刀剣よりも恐るべき武器となり得るのだ。
 その打撃の権化が、槍そのものの間合いを飛び回っている。それもただ回っているだけではない。縦に、横に、頭に足に。狙う場所は常に変化し、軌道も一瞬で変えられる。
 技が読めないのだ。
「地に足の着いた戦いでは勝てんわ」
 地上は武蔵の不利だった。間合いも威力も叶わない。
 では、空ならどうか。
 空において、鎖鎌はそれほど厄介な武具となるだろうか。互いに一合がやっとという高速でのすれ違い、さて、そこにあの厄介な間合いはあるだろうか。
「勝てぬなら相手を弱めりゃええのんや」
 結論はすぐに出た。相手の土俵で戦う無意味を武蔵は実によく心得ている。
 頭を切り替える。ゆっくりと間合いを狭めてくる相手から距離を置き、相手にもそうとわかるほどに噴煙を吹かせて見せた。
 果たして応じるか。応じなければ、それはそれである。空から鷹の心持ちで狙えばいい。
 それが出来る自信はあった。
 やがて、宍戸も合当理の火を噴かせ始めた。その最中でも分銅の周回軌道に乱れはない。
 相当の、達者だった。
            ・・・
「しかし技にこだわるは、やまいや」
 
 一瞬武蔵が早く飛び上がる。それから幾分遅れて宍戸某。
 武蔵の劒冑、兼重は機動力で見張るべき点のある劒冑である。双輪懸において武蔵は力よりも、速さよりも、まず小回りをこそ選んでいる。
 対手を討つだけならば力なり速さなりで事足りるだろう。甲鉄の厚さは守りの戦いだ。宮本武蔵の戦いではない。
 武蔵の戦は逃げの戦だ。逃げて勝つ。その為には小回りこそが必要だった。
 そしてその機動力を持ってすれば、飛び上がった直後に反転し、相手を迎え撃つことも可能となるのだ。
 円明流、山彦。逃げの一手から反転して猛牛形を行う、双輪懸における奇襲である。
 しかし、武蔵の目論見は意外な形で費える。
「おらん」
 双輪懸を想定していた武蔵から見て、対手は完全に間合いから離れていた。あれでは切り結ぶ事は叶わない。失速寸前まで速度を落とさなければ、ああも間合いが開くことはないだろう。
「見切られたか。いや、なら詰めるんや」
 持ち前の柔軟さで武蔵はこのまま相手へ突進していくことを選んだ。すでに失速寸前にまで速度を落としているのなら、あとは一撃なり加えてやれば落ちるだろう。そう考え、速度を上げた武蔵の額を。
 殺気の塊が冷やりと撫ぜた。
 果たして、武蔵は切り結ぶ直前になって逃げを選んだ。対手のはるか手前で下へと潜ったのだ。そこを、間一髪分銅が通り過ぎていく。
 間一髪では、すまなかった。
 こめかみの甲鉄がこそげている。もはや打撃うんぬんの威力ではなくなっていた。
 いくら宍戸が遅いといっても速度自体は亜音速である。さらに、分銅は「かえし」を入れることでその速度を倍化させる。
 分銅に限って言うなら、その速度は亜音速などではなく、音速を超えているのだろう。
 尋常の武器ではない。なにが空なら間合いを潰せるだ。武蔵は己の甘さに反吐でも吐いてやりたくなった。
 地上においては間合いで優れ、空においては……あるいはこの威力、刀剣に勝るのではないか。なるほど、鎖鎌とは甚だ厄介きわまる武装であった。
 急な方向転換で速度を失いかけた機体を、何とか双輪懸に復帰させる。余裕のできたところで対手を見れば、宍戸某は鎌の部分を構え、鎖の部分は流れるままに漂わせていた。
 あの構えから「かえし」を入れ、分銅のみを飛ばしてくるのだろう。おそらく誰にでも出来ることではあるまい。宍戸某は、類まれなる魔剣使いだった。
 魔剣、すなわちブレイドアーツの使い手ではなく。
 魔装、すなわちエンチャントウエポンの担い手なのだ。
 
 では、己は何か。武蔵は自分に問いかける。
 戦いにおいて逃げを選び、二刀という異端を使い、尋常の勝負を厭う己は何だ。
「くく」
 戦いで逃げるのは勝つためだ。
 異端で戦うのは勝つためだ。
 尋常ではないのは勝つためだ。
 宮本武蔵は清々しいまでに勝利にこだわる暴君なのだ。

 宍戸某が武装を極めたエンチャントウエポンの担い手ならば。
 宮本武蔵は、暴虐を極めたウォーロードである。

「鎖分銅、なにほどのものや」
 一合してその恐ろしさは身にしみた。
 音速を超える分銅に、変幻自在の間合い。そして使い手が達者である。
 二合目でこちらが倒れる可能性はいまだ高い。だが、武蔵の手にはいまだ二刀が握られている。
 鎖鎌と戦う事を決めてから、工夫を続けた二刀使い。その真髄が、このわずか数刻の野仕合で組みあがろうとしていた。
 そして武蔵は、その秘奥を見せた。
 おおよそ、見たことも聞いたこともない構えである。武者の守るべき顔面をさらけだし、その二刀は腰のあたりで添えられていた。
 無構え。双輪懸の異端。
 宍戸の動揺が武蔵には手に取るようにわかる。確かにこのまま双輪懸へと移れば武蔵の敗北は間違いないだろう。
 こめかみをこそげ落としたあの分銅の威力で、頭蓋を叩き割られるに違いない。
 しかし、それがわかっていながらの無構えだ。警戒してしかるべきである。
 逡巡の結果、対手宍戸は鎖を掴んだ。
 より精緻な攻撃をするための準備であろう。それまでは返しだけですんでいた動作に、もう一ひねり加える気なのだ。
 間合いは、そろそろ槍相応の間合い……鎖分銅の届く間合いへと届こうとしてた。
 果たして、宍戸は動いた。騎航中にもかまわず分銅を回転させる。
 これこそが技量の極地である。物理法則を捻じ曲げるほどの技を持って、その分銅は蛇の狡猾さで武蔵の首へと絡みついた。
 そのまま、宍戸は上昇して逃げを打つ。
 勝負は決したのだ。最後に勝負を決めたのは、鎌でなく、分銅でなく、鎖だった。
 首に絡んだ鎖は双輪懸の交差によって、対手の頚骨に致命的な打撃を加える。真打の使い手であろうと、首の骨が砕けた武者は死の定めからは逃れられない。
 宍戸八重垣流、犬飼。まさに対手は鎖につながれた犬のごとく、逃れられぬ。
 しかして、武蔵は。
 武蔵は。
「こんなものは、当理流の縄抜けも同じや」
 本来両手を要する縄抜けを、当理流の型どおり左手と刀の柄だけで器用にこなす。
「縄抜けは、俺の得意とする型に入っとる」
 しかし抜け出るだけでは攻撃は出来ない。それはそうだ。人間は二つのことを一度に出来るほど器用ではない。
 器用ではないのだ。だから人間は工夫する。
 暴君はここでも工夫する。
 では、二つのことを同時にする、一つの型を作ればいいのだ。
 型とは、修練の意味合いと、通常一つのことしか気の回らない人間のキャパシティを増やすため、複数の意味を練り合わせて一つの動作として覚えこませる意味合いがある。
 刀を使用した縄抜けも、言うなれば型である。本来刀の使いと縄の解きで二つの動作が必要なところを、一つの型としてくくることで人間に使えるようにする。
 その、型を。
 宮本武蔵は複数用意する。
 右半身。無構えのままだった右手が俄かに殺意を帯びる。
 使用するのは、山彦。本来は奇襲の技である。
 しかし、双輪懸の丁度真下に潜った今では、技は意味合いをわずかに変える。
 鎖抜けを果たした左半身は、いまだに鎖を掴む。
 山彦を使用する右半身は、その場で旋回を試みる。
  引っ張られた宍戸某は、上昇の軌道を強引に降下へと反らされる。
 そのがら空きのわき腹に蹴り足が添えられた。
「日下開山や、苦いぞ!」
 空中での巴投げ。双輪懸の威力が添えられたそれは、忽ち墜死を誘う魔技だった。

 宮本武蔵の魔剣。二刀流。

 ……左右、別流。



 
 なお、宍戸某の生死は不明である。
 宮本武蔵はこの場でも逃げを打った。対手に致命的な一撃を加えた後、己はすぐさまその場を去る。
 相手の生死は関係ない。己が勝ったという事実があればよいのだ。
 その事実は武蔵強しを広め、その逃げが武蔵を生かす。
 宮本武蔵は、勝利に徹する暴君だった。